「快からのメッセージ」
福岡市中央区清川にあるあきほ整骨院の秋穂です。前回に引き続き連続企画あきほ整骨院の本棚からの三冊目をご紹介させて頂きます。若きペーペー柔整師の秋穂が様々な本を読み、多くの先輩達に教えを乞い、ほんの少しずつ成長していく痛快ドタバタサクセス?ストーリーです。
整形外科での勤務中、橋本敬三先生の本で独学で覚えた操体法を使って施術を行っていましたが、「学ぶことは真似ること」というように視て真似ることのできない環境は直ぐに限界が来てしまいます。私は操体法が学べる研修会に参加しようと救急操体法(エンタープライズ社刊)という本で見つけた連動操体法の根本良一の講習を受講するため隔週日曜日に埼玉県朝霞市まで通うことにしました。土曜日の診療が終わって高速バスにのって(これが一番安く行ける交通手段だったので・・・若いから出来た事ですね。)日曜日の朝に朝霞に移動。午後から操体法の講習を受けて その日の夜の高速バスに乗り、月曜日の朝に福岡に到着した足で整形外科に出勤。というスケジュールを半年間ほど続けていたのですが、一大決心をして整形外科を辞めて上京したいという旨を院長に伝えることにしました。院長先生には本当に良くして頂いたのでその好意に背くようで心苦しかったのですが「君がそこまで勉強したいと思うのなら」と快く送り出していただきました。
当時はまだインターネットも普及しておらず福岡と言っても専門的な情報は中々入ってこない状態でしたので東京の情報量と個性的な治療家の先輩方には圧倒されました。その中で当時東京都目黒区西小山で開業されて居られた鍼灸柔整師の二刀流である青井徹先生(現在は自由が丘で開業)にお世話になり東京での生活を始めることが出来ました。
青井先生のことは後のブログに譲るとして、上京の目的である操体法の勉強も根本先生の師匠でもあり、創始者橋本敬三氏の愛弟子である。人体構造力学研究所の三浦寛先生の講義に参加させて頂くことになりました。ちょうどそのころに出版された本が「快からのメッセージ」です。橋本先生は気持ち良いことをすれば「体は治る」と説明されておられたのですが、実際の臨床においては運動制限の有無に対しての運動療法の域を越えないものでした。三浦先生はこの前に出版した今明宏先生との共著「操体法治療室」とこの「快からのメッセージ」で臨床の中でも快適感覚を得ることを第一義とした治療法を提唱されたのでした。
この頃の秋穂はとにかく折角上京したのだからとで操体法を始めとした様々なボディーワークのワークショップを渡り歩いておりましたが、三浦先生とのご縁を得てその後14年という期間を操体法の勉強に費やすこととなったのでした。
「人体の外表を包囲する皮膚。私たちの生命にとってこの地球という生命体が生きる場なら、からだにとって皮膚とはこの地球の地表のような存在にみえてくるのです。皮膚という器の中でイノチが機能する。皮膚はからだの器でもあるけれど、心の大切な器でもあります。皮膚こそ、生命感覚の宝庫にみえてくるのです。」
(「快からのメッセージ」三浦寛著 第一刷 たにぐち書店 163頁)
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